1992年の夏、バルセロナオリンピックで話題になったのが、アメリカ代表バスケットボールチーム、通常「ドリームチーム」の華麗なる活躍でした。
彼らが見せたゲームは、一方的な試合展開が多かったにも関わらず、観客を飽きさせることなく、むしろ試合ごとに更なる期待と興奮を生み出すものでした。
ドリームチームのプレイは、バスケットボールがどれほど華麗で、技術的で、そしてエキサイティングなスポーツであるかを、改めて全世界に示すものだったのです。
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バルセロナ五輪での『ドリームチーム』の活躍は、バスケットボールというスポーツそのものの魅力を世界中に広め、その普及と発展に大いに貢献しました。その影響は今も続いており、現代のバスケットボールシーンにおいても彼らの足跡は色濃く残っています。
NBAドリームチームの誕生|レジェンドたちの集結
スポーツの世界ではしばしば『ドリームチーム』という言葉が用いられることがあります。その原点が、1992年にバルセロナ五輪で初めて編成されたNBA選手が中心の男子バスケットボールアメリカ代表メンバーたちです。
それまでのオリンピックでは、NBA選手の参加が認められていませんでした。アメリカ代表は主に大学生からなるチームで、1984年のロサンゼルスオリンピックでは金メダルも獲得していました。
しかし、1988年のソウルオリンピックでアメリカ代表は銅メダルに終わり、その大会は1972年のミュンヘンオリンピック、1980年のモスクワオリンピックに続き、アメリカ代表が金メダルを逃した3度目の大会となりました。
そして1989年、ソウルオリンピック後に国際バスケットボール連盟(FIBA)がプロ選手のオリンピック参加を認めたことで、マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、チャールズ・バークレーなどの超一流選手の共演が実現することになったのです。
ちなみに、はじめて『ドリームチーム』という言葉を使ったのは、アメリカのスポーツ月刊誌である「スポーツ・イラストレイテッド」誌です。
スポーツ・イラストレイテッド誌は1991年2月18日号の表紙において、次の年のバルセロナオリンピックに出場するために編成されるバスケットボール男子アメリカ合衆国代表チームを「ドリームチーム」と呼んだ
引用元:Wikipedia
ドリームチームのメンバー|伝説のチーム
背番号 | 名前 | 身長 | 体重 | ポジション | 所属チーム(1992年時) |
---|---|---|---|---|---|
#4 | クリスチャン・レイトナー | 211cm | 107kg | PF | デューク大学 |
#5 | デビッド・ロビンソン | 216cm | 107kg | C | サンアントニオ・スパーズ |
#6 | パトリック・ユーイング | 213cm | 110kg | C | ニューヨーク・ニックス |
#7 | ラリー・バード | 206cm | 100kg | SF | ボストン・セルティックス |
#8 | スコッティ・ピッペン | 201cm | 95kg | SF | シカゴ・ブルズ |
#9 | マイケル・ジョーダン | 198cm | 90kg | SG | シカゴ・ブルズ |
#10 | クライド・ドレクスラー | 201cm | 101kg | SG | ポートランド・トレイルブレイザーズ |
#11 | カール・マローン | 206cm | 116kg | PF | ユタ・ジャズ |
#12 | ジョン・ストックトン | 185cm | 79kg | PG | ユタ・ジャズ |
#13 | クリス・マリン | 201cm | 98kg | SF | ゴールデンステート・ウォリアーズ |
#14 | チャールズ・バークレー | 198cm | 110kg | PF | フェニックス・サンズ |
#15 | マジック・ジョンソン | 206cm | 100kg | PG | ロサンゼルス・レイカーズ |
#4 クリスチャン・レイトナー(デューク大学)
アメリカ代表に選ばれた12人のうち、たった1人だけアマチュアとしてピックアップされた選手がいます。それが、デューク大学を代表するバスケットボール選手、クリスチャン・レイトナーです。
レイトナーは、大学バスケットボール界を代表する華麗なるパワーフォワード(PF)で、彼の名前は大学スポーツの歴史に刻まれています。全米で放送される一大イベント、NCAAトーナメントではデューク大学の主力選手として活躍。特に1992年の大会では、彼の劇的なショットは「The shot」として有名です。
#5 デビッド・ロビンソン(サンアントニオ・スパーズ)
デビット・ロビンソンはサンアントニオ・スパーズの主力としてNBAで活躍した選手で、アメリカ海軍出身の身長216cmの巨漢センターとしてその名を世界に轟かせました。
彼は海軍出身ということもあって”アドミラル”(提督)という愛称で親しまれ、独特な存在感を持っていました。スパーズでは1995年にMVPを受賞し、1999年と2003年にはチームをNBAチャンピオンに導くなど、輝かしい成績をおさめています。
そしてドリームチームの一員となったバルセロナオリンピック。それはロビンソンにとって特別な意味を持っていました。彼は1988年ソウルオリンピックでもアメリカ代表として出場しています。当時は軍役1年目のアマチュア選手としてでした。しかし、そのソウル大会でアメリカは銅メダルに終わり、ロビンソンにとっては悔しい結果となりました。それから4年後、プロ選手が出場を許可されたバルセロナ大会で、ロビンソンはその雪辱を果たすべく、再びオリンピックの舞台に立ったのです。
#6 パトリック・ユーイング(ニューヨーク・ニックス)
パトリック・ユーイングは、ニューヨーク・ニックスを代表するセンターとして知られ、世界でもトップクラスの選手です。
ユーイングはジャマイカ出身で、その後アメリカへと移住。すでに高校時代から注目を浴びる選手でした。その後、名門ジョージタウン大学に進学し、ここで彼はその真価を世界に示すこととなります。NCAA(全米大学体育協会)のチャンピオンシップでは1984年に優勝を経験し、自身も最優秀選手に輝きました。
バルセロナオリンピックでは、ユーイングはその身長213cmの体格と優れたテクニックを活かし、チームの要として活躍しました。パワフルなダンクや安定したミッドレンジショットで得点を重ね、また彼のディフェンス能力もまた折り紙つきで、リバウンドやブロックで相手チームを圧倒しました。
バルセロナオリンピック以降も、ユーイングはNBAで活躍し続け、そのキャリアを通じて11回のオールスター出場を果たすなど、その実力は常にトップクラスの選手でした。
#7 ラリー・バード(ボストン・セルティックス)
ラリー・バードは、インディアナ州の小さな町出身。青年期にはスポーツだけでなく、清掃員として労働も経験し、彼の努力家の精神はここで鍛えられました。そして、その精神力は後の彼のバスケットボールキャリアに大いに生きることとなります。
バードがバスケットボールの世界で初めて大きな成功をおさめたのは、インディアナ州立大学時代。ここで彼は自身の力を存分に発揮し、NCAAファイナルへの進出を果たします。そして、彼の才能は全米に知れ渡ることとなりました。
そして、彼のキャリアの頂点がバルセロナオリンピック。ここでバードは、その圧倒的なシューティング力と絶妙なパスワークでチームを牽引。全試合勝利を収め、金メダルを獲得したアメリカ代表チームの「ドリームチーム」の一員として、その名を世界に轟かせました。
#8 スコッティ・ピッペン(シカゴ・ブルズ)
アーカンソー州ハンブルク出身のピッペンは、貧しい家庭の末っ子として生まれました。高校時代は身長も低く、ポイントガードとしてプレイをしていました。しかしこの経験が、巧みなパスセンスを磨くきっかけとなり、彼を唯一無二のスモールフォワードへと成長させたのです。
そしてアーカンソー中央大学で才能を開花させ、1987年にシカゴ・ブルズからNBAドラフト全体5位で指名を受けます。ピッペンは、マイケル・ジョーダンとの完璧なコンビネーションを形成し、ブルズの黄金時代を築く一翼を担いました。
ピッペンのプレイスタイルは、優れたオールラウンド性が特徴。彼の得意とするディフェンスはチームに安定感をもたらし、その攻撃的なプレイは観衆を魅了しました。彼は、1990年代に6度のNBAチャンピオンに輝くブルズの重要なピースであり、その中でもピッペンの存在は不可欠でした。
そして、バルセロナオリンピック。ここでも彼の実力は光り輝きました。ピッペンの広い視野を生かしたディフェンスとパスセンスは、試合を支配し、無敵を誇ったドリームチームを更なる高みへと導きました。全試合を圧倒的な強さで制し、見事に金メダルを獲得。この時のピッペンのプレイは、彼がどれほど優れたバスケットボールプレイヤーであるかを証明するものでした。
#9 マイケル・ジョーダン(シカゴ・ブルズ)
もはや説明不要のNBAスーパースター、マイケル・ジョーダンは1992年のバルセロナオリンピックで「ドリームチーム」の一員としてその名を永遠に刻み込みました。
ジョーダンは、大学時代に全米選手権を制し、その後1984年のNBAドラフトでシカゴ・ブルズに指名されると、すぐにその存在感を見せつけました。リーグに新たな風を吹き込む彼の縦横無尽なプレーは、観る者全てを魅了しました。
その才能はスピード、パワー、テクニック、そして何よりも、彼の持つ闘争心から来るものでした。この闘争心こそが彼の力の源であり、6度のNBAチャンピオンシップ、5度のMVP獲得という壮絶な業績を達成させたのです。
バルセロナオリンピックでは、全8試合にスターティングメンバーとして出場し、1試合あたりの平均得点は14.9点で、一貫して得点を重ねています。3ポイントショットは成功率21.1%と苦戦していましたが、アシスト平均も4.8と高く、他の選手へのプレイメイクも兼ね備えていました。
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#10 クライド・ドレクスラー(ポートランド・トレイルブレイザーズ)
クライド・ドレクスラーはコートを滑るように移動し、空中での驚異的な身体操作と華麗なるダンクショットで観客を魅了したことから”ザ・グライド”というニックネームがついています。
NBAキャリアの大部分をポートランド・トレイルブレイザーズとヒューストン・ロケッツで過ごしたドレクスラーは、その俊敏さとスコアリング能力でリーグを席巻しました。10回のオールスター出場、1度のNBAチャンピオンシップ(1995年)、そして1996年にはNBAの50周年記念オールタイムチームに選出されるなど、彼のキャリアは成功に満ち溢れています。
バルセロナオリンピックでは、8試合すべてに出場し、平均10.5得点を挙げるという堅実なパフォーマンスを見せつけました。
#11 カール・マローン(ユタ・ジャズ)
NBAで19シーズンに渡りその屈強な肉体を駆使し、極めて高いパフォーマンスを維持したカール・マローン。彼はその大部分をユタ・ジャズの一員として過ごしました。
彼のスタイルは、”The Mailman”(郵便配達人)というニックネームに完全に体現されています。まさに確実性と力強さが一体となった彼のプレイは、ボールを“配達”するという表現がぴったりだったのです。
マローンのNBAキャリアは、14回のオールスター出場と2度のMVP受賞(1997年、1999年)という輝かしい記録で飾られています。彼の力強く、かつ堅実なプレイスタイルは、彼がリーグを代表する選手として長く活躍したことを証明しています。
さらに驚くべきことに、彼の欠場数は最後のシーズンをのぞくとわずか10試合に過ぎず、これはまさに鉄人という言葉がふさわしい実績です。この信じられないほどの体力と持続力は、彼の高いプレイレベルを維持するための基盤でした。
また、彼の活躍は国内だけでなく国際的な舞台でも繰り広げられました。1992年バルセロナオリンピックでは、全8試合に出場し、一試合平均13.0得点を挙げる活躍を見せました。さらに、彼のリバウンド力も光り輝き、平均5.3という高い数値を記録しました。
#12 ジョン・ストックトン(ユタ・ジャズ)
ユタ・ジャズ一筋に全19シーズンを捧げたジョン・ストックトンは、巧妙なパスセンスと圧倒的な視野を持つ選手として、”パスの魔術師”と称されました。
彼の記録は偉大で、歴代最多アシストとスティールの記録を保持しています。そして10回のオールスター選出や9度にわたるアシスト王(1988-1996年)という輝かしい経歴を持っています。
ユタ・ジャズの成功は、ストックトンの正確なパスワークと視野の広さが大いに貢献しました。彼とパートナー、カール・マローンの組み合わせは、NBA史上最も成功したデュオの一つと称され、今も語り継がれています。
ストックトンのテクニックは、NBAでのプレイだけに留まりませんでした。1992年、バルセロナオリンピックで彼はアメリカ代表チーム、通称「ドリームチーム」の一員となり、世界にその驚異的なパスセンスを披露しました。
しかしながら、その活躍は怪我の影響で制約を受けました。全試合への出場は叶わず、わずか4試合の出場に留まり、1試合あたりのアシストも2.0と、NBAで見せていた最高のパフォーマンスをオリンピックで再現することは叶いませんでした。しかし、その短い出場時間でも彼の影響力は如何なく発揮され、バスケットボール界のレジェンドとしての地位を確固たるものとしました。
#13 クリス・マリン(ゴールデンステート・ウォリアーズ)
クリス・マリンは1985年のNBAドラフトで全体の7番目にゴールデンステート・ウォリアーズに指名されました。”ゴッド・ハンド”の異名を持つシューターとして長身の左利きから放たれる美しいショットを武器に、ルーキーシーズンから平均14.0得点を挙げる活躍をみせました。
私生活ではアルコール依存症に悩まされるなどのトラブルもあったのもの、それを克服し、バルセロナオリンピックでは自身のシューティングスキルをフルに発揮しました。平均12.9得点を挙げ、3ポイントシュート成功率は驚異的な53.8%を記録。その卓越したパフォーマンスは、アメリカが金メダルを獲得する大きな要因となりました。
#14 チャールズ・バークレー(フェニックス・サンズ)
NBAでのバークレーの活躍は、バスケットボールファンにとっては忘れ得ぬ存在でしょう。身長198cmとパワーフォワードとしてはやや小柄ながら、そのパワフルさとリバウンド能力から”The Round Mound of Rebound”(リバウンドの丸い塊)というニックネームで親しまれました。その強烈なプレイスタイルは、彼がフィールドに立つたびに観客を魅了しました。
バルセロナオリンピックでは、バークレーのその力強さが存分に発揮されました。彼は全8試合に出場し、そのうち4試合ではスターターとしてコートに立ちました。また、彼のフィールドゴール成功率は.711という驚異的な数字をマークしました。特に彼の得点力は、アメリカ代表チームが金メダルを獲得する上で重要な一翼を担い、平均得点18.0はチーム内で最高でした。
さらに、彼のキャラクターは、試合だけでなく、チーム全体のムードメーカーとしても大いに貢献しました。チームメイトたちを楽しませ、彼らに自由にプレーする勇気を与えたバークレーの存在は、その個性とともに、ドリームチームを真に”夢のチーム”たらしめました。
#15 マジック・ジョンソン(ロサンゼルス・レイカーズ)
マジック・ジョンソンは197cmという背の高さを活かしてパワーフォワードとしてプレーする一方で、素晴らしいボールハンドリングと優れたパス能力を持つポイントガードとしてもプレーしました。この組み合わせは、当時としては画期的であり、彼のプレースタイルを特徴づけています。
とはいえ、ジョンソンのプレースタイルの核心は、「パス」にあります。彼はチームメイトを上手く活かす、巧みなパスを放つことで知られ、その技術はバスケットボール史上最高とされています。
ジョンソンのパスは、ピンポイントの精度とクリエイティビティを持ち合わせており、そこから生まれるプレーは観客を驚かせ、スタジアムを沸かせました。
バルセロナオリンピックでは、8試合中6試合に出場し、平均アシスト数が5.5と、チーム内で最も高い数字を示しています。
しかし、同時に、ジョンソンがHIVに感染していることが公になった直後であり、彼の健康問題が大きな関心を集めました。彼は自身の状況を公にし、HIVやエイズについての認識を高める活動に尽力しました。その勇気ある行動は、スポーツ界だけでなく、世界中の人々から賞賛を受けました。
ドリームチームの試合内容|金メダルまでの道のり
日付 | 対戦国 | アメリカの得点 | 対戦国の得点 | ステージ |
---|---|---|---|---|
7月26日 | アンゴラ | 116 | 48 | 予選 |
7月27日 | クロアチア | 103 | 70 | 予選 |
7月29日 | ドイツ | 111 | 68 | 予選 |
7月31日 | ブラジル | 127 | 83 | 予選 |
8月2日 | スペイン | 122 | 81 | 予選 |
8月4日 | プエルトリコ | 115 | 77 | 準々決勝 |
8月6日 | リトアニア | 127 | 76 | 準決勝 |
8月8日 | クロアチア | 117 | 85 | 決勝 |
チャック・デイリー監督率いるドリームチームは、金メダル獲得のための戦いをアンゴラ戦での116-48の圧勝からスタートさせました。
デイリー監督が彼らの力と存在感を「エルヴィスとビートルズが一緒になったようなもの」と評したように、ドリームチームは対戦国を次々に圧倒し、クロアチアとの金メダルマッチへ駒を進めました。
グループステージでもすでにクロアチアを下していたアメリカでしたが、決勝戦は比較的接戦となりました。それでも最終的には117-85で蹴散らし、アメリカはオリンピックの頂点に輝くこととなりました。
そして金メダル獲得後、デイリー監督は、「彼らは世界最高の選手たちと戦ったという経験を子供たちに語り継げるだろう。我々の最高の選手たちと対戦することで、彼らはさらに自信を持つことができるだろう」と語ったのです。
対アンゴラ戦
対クロアチア戦(予選)
対ドイツ戦
対ブラジル戦
対スペイン戦
対プエルトリコ戦
対リトアニア戦
対クロアチア戦(決勝)
【まとめ】元祖ドリームチーム|バルセロナ五輪のバスケ男子、アメリカ代表メンバーは?
本記事では、歴代最高と称されるバスケットボール界のレジェンドたちが集結し、その力を結集させて創り上げた「ドリームチーム」について紹介をしました。
彼らはただのチームを超え、一つの象徴となりました。試合の結果はもちろん、その存在感や力強さで世界中を驚かせ、深く感動させました。その活躍は、新たなバスケットボールの可能性を見せ、スポーツ史に永遠に残る価値ある一ページを刻んだといえます。